雪靈記事 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)此《こ》の |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|町《ちやう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)𢌞《まは》る /\:二倍の踊り字(「く」を縱に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ぐわう/\と *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------         一 「此《こ》のくらゐな事《こと》が……何《なん》の……小兒《こども》のうち歌留多《かるた》を取《と》りに行《い》つたと思《おも》へば――」  越前《ゑちぜん》の府《ふ》、武生《たけふ》の、侘《わび》しい旅宿《やど》の、雪《ゆき》に埋《うも》れた軒《のき》を離《はな》れて、二|町《ちやう》ばかりも進《すゝ》んだ時《とき》、吹雪《ふゞき》に行惱《ゆきなや》みながら、私《わたし》は――然《さ》う思《おも》ひました。  思《おも》ひつゝ推切《おしき》つて行《ゆ》くのであります。  私《わたし》は此處《こゝ》から四十|里《り》餘《あま》り隔《へだ》たつた、おなじ雪深《ゆきぶか》い國《くに》に生《うま》れたので、恁《か》うした夜道《よみち》を、十|町《ちやう》や十五|町《ちやう》歩行《ある》くのは何《なん》でもないと思《おも》つたのであります。  が、其《そ》の凄《すさま》じさと言《い》つたら、まるで眞白《まつしろ》な、冷《つめた》い、粉《こな》の大波《おほなみ》を泳《およ》ぐやうで、風《かぜ》は荒海《あらうみ》に齊《ひと》しく、ぐわう/\と呻《うな》つて、地《ち》――と云《い》つても五六|尺《しやく》積《つも》つた雪《ゆき》を、押搖《おしゆす》つて狂《くる》ふのです。 「あの時分《じぶん》は、脇《わき》の下《した》に羽《はね》でも生《は》えて居《ゐ》たんだらう。屹《きつ》と然《さ》うに違《ちが》ひない。身輕《みがる》に雪《ゆき》の上《うへ》へ乘《の》つて飛《と》べるやうに。」  ……でなくつては、と呼吸《いき》も吐《つ》けない中《うち》で思《おも》ひました。  九歳《こゝのつ》十歳《とを》ばかりの其《そ》の小兒《こども》は、雪下駄《ゆきげた》、竹草履《たけざうり》、それは雪《ゆき》の凍《い》てた時《とき》、こんな晩《ばん》には、柄《がら》にもない高足駄《たかあしだ》さへ穿《は》いて居《ゐ》たのに、轉《ころ》びもしないで、然《しか》も遊《あそ》びに更《ふ》けた正月《しやうぐわつ》の夜《よ》の十二|時過《じす》ぎなど、近所《きんじよ》の友《とも》だちにも別《わか》れると、唯《たゞ》一人《ひとり》で、白《しろ》い社《やしろ》の廣《ひろ》い境内《けいだい》も拔《ぬ》ければ、邸町《やしきまち》の白《しろ》い長《なが》い土塀《どべい》も通《とほ》る。………ザヾツ、ぐわうと鳴《な》つて、川波《かはなみ》、山颪《やまおろし》とともに吹《ふ》いて來《く》ると、ぐる/\と𢌞《まは》る車輪《しやりん》の如《ごと》き濃《こ》く黒《くろ》ずんだ雪《ゆき》の渦《うづ》に、くる/\と舞《ま》ひながら、ふは/\と濟《す》まアして内《うち》へ歸《かへ》つた――夢《ゆめ》ではない。が、あれは雪《ゆき》に靈《れい》があつて、小兒《こども》を可愛《いとし》がつて、連《つ》れて歸《かへ》つたのであらうも知《し》れない。 「あゝ、酷《ひど》いぞ。」  ハツと呼吸《いき》を引《ひ》く。目口《めくち》に吹込《ふきこ》む粉雪《こゆき》に、ばツと背《せ》を向《む》けて、そのたびに、風《かぜ》と反對《はんたい》の方《はう》へ眞俯向《まうつむ》けに成《な》つて防《ふせ》ぐのであります。恁《か》う言《い》ふ時《とき》は、其《そ》の粉雪《こゆき》を、地《ぢ》ぐるみ煽立《あふりた》てますので、下《した》からも吹上《ふきあ》げ、左右《さいう》からも吹捲《ふきま》くつて、よく言《い》ふことですけれども、面《おもて》の向《む》けやうがないのです。  小兒《こども》の足駄《あしだ》を思《おも》ひ出《だ》した頃《ころ》は、實《じつ》は最《も》う穿《はき》ものなんぞ、疾《とう》の以前《いぜん》になかつたのです。  しかし、御安心《ごあんしん》下《くだ》さい。――雪《ゆき》の中《なか》を跣足《はだし》で歩行《ある》く事《こと》は、都會《とくわい》の坊《ぼつ》ちやんや孃《ぢやう》さんが吃驚《びつくり》なさるやうな、冷《つめた》いものでないだけは取柄《とりえ》です。ズボリと踏込《ふみこ》んだ一息《ひといき》の間《あひだ》は、冷《つめた》さ骨髓《こつずゐ》に徹《てつ》するのですが、勢《いきほひ》よく歩行《ある》いて居《ゐ》るうちには温《あたゝか》く成《な》ります、ほか/\するくらゐです。  やがて、六七|町《ちやう》潛《もぐ》つて出《で》ました。  まだ此《こ》の間《あひだ》は氣丈夫《きぢやうぶ》でありました。町《まち》の中《うち》ですから兩側《りやうがは》に家《いへ》が續《つゞ》いて居《を》ります。此《こ》の邊《へん》は水《みづ》の綺麗《きれい》な處《ところ》で、軒下《のきした》の兩側《りやうがは》を、清《きよ》い波《なみ》を打《う》つた小川《をがは》が流《なが》れて居《ゐ》ます。尤《もつと》も其《そ》れなんぞ見《み》えるやうな容易《やさし》い積《つも》り方《かた》ぢやありません。  御存《ごぞん》じの方《かた》は、武生《たけふ》と言《い》へば、あゝ、水《みづ》のきれいな處《ところ》かと言《い》はれます――此《こ》の水《みづ》が鐘《かね》を鍛《きた》へるのに適《てき》するさうで、釜《かま》、鍋《なべ》、庖丁《はうてう》、一切《いつさい》の名産《めいさん》――其《そ》の昔《むかし》は、聞《きこ》えた刀鍛冶《かたなかぢ》も住《す》みました。今《いま》も鍛冶屋《かぢや》が軒《のき》を並《なら》べて、其《そ》の中《なか》に、柳《やなぎ》とともに目立《めだ》つのは旅館《りよくわん》であります。  が、最《も》う目貫《めぬき》の町《まち》は過《す》ぎた、次第《しだい》に場末《ばすゑ》、町端《まちはづ》れの――と言《い》ふとすぐに大《おほき》な山《やま》、嶮《けはし》い坂《さか》に成《な》ります――あたりで。……此《こ》の町《まち》を離《はな》れて、鎭守《ちんじゆ》の宮《みや》を拔《ぬ》けますと、いま行《ゆ》かうとする、志《こゝろざ》す處《ところ》へ着《つ》く筈《はず》なのです。  それは、――其許《そこ》は――自分《じぶん》の口《くち》から申兼《まをしか》ねる次第《しだい》でありますけれども、私《わたし》の大恩人《だいおんじん》――いえ/\恩人《おんじん》で、そして、夢《ゆめ》にも忘《わす》れられない美《うつく》しい人《ひと》の侘住居《わびずまひ》なのであります。  侘住居《わびずまひ》と申《まを》します――以前《いぜん》は、北國《ほつこく》に於《おい》ても、旅館《りよくわん》の設備《せつび》に於《おい》ては、第一《だいいち》と世《よ》に知《し》られた此《こ》の武生《たけふ》の中《うち》でも、其《そ》の隨一《ずゐいち》の旅館《りよくわん》の娘《むすめ》で、二十六の年《とし》に、其《そ》の頃《ころ》の近國《きんごく》の知事《ちじ》の妾《おもひもの》に成《な》りました……妾《めかけ》とこそ言《い》へ、情深《なさけぶか》く、優《やさし》いのを、昔《いにしへ》の國主《こくしゆ》の貴婦人《きふじん》、簾中《れんちう》のやうに稱《たゝ》へられたのが名《な》にしおふ中《なか》の河内《かはち》の山裾《やますそ》なる虎杖《いたどり》の里《さと》に、寂《さび》しく山家住居《やまがずまひ》をして居《ゐ》るのですから。此《こ》の大雪《おほゆき》の中《なか》に。         二  流《なが》るゝ水《みづ》とともに、武生《たけふ》は女《をんな》のうつくしい處《ところ》だと、昔《むかし》から人《ひと》が言《い》ふのであります。就中《なかんづく》、蔦屋《つたや》――其《そ》の旅館《りよくわん》の――お米《よね》さん(恩人《おんじん》の名《な》です)と言《い》へば、國々《くに/″\》評判《ひやうばん》なのでありました。  まだ汽車《きしや》の通《つう》じない時分《じぶん》の事《こと》。…… 「昨夜《さくや》は何方《どちら》でお泊《とま》り。」 「武生《たけふ》でございます。」 「蔦屋《つたや》ですな、綺麗《きれい》な娘《むすめ》さんが居《ゐ》ます。勿論《もちろん》、御覽《ごらん》でせう。」  旅《たび》は道連《みちづれ》が、立場《たてば》でも、又《また》並木《なみき》でも、言《ことば》を掛合《かけあ》ふ中《うち》には、屹《きつ》と此《こ》の事《こと》がなければ納《をさ》まらなかつたほどであつたのです。  往來《ゆきき》に馴《な》れて、幾度《いくたび》も蔦屋《つたや》の客《きやく》と成《な》つて、心得顏《こゝろえがほ》をしたものは、お米《よね》さんの事《こと》を渾名《あだな》して、むつの花《はな》、むつの花《はな》、と言《い》ひました。――色《いろ》と言《い》ひ、また雪《ゆき》の越路《こしぢ》の雪《ゆき》ほどに、世《よ》に知《し》られたと申《まを》す意味《いみ》ではないので――此《これ》は後言《くりごと》であつたのです。……不具《かたは》だと言《い》ふのです。六本指《ろつぽんゆび》、手《て》の小指《こゆび》が左《ひだり》に二《ふた》つあると、見《み》て來《き》たやうな噂《うはさ》をしました。何故《なぜ》か、――地方《ゐなか》は分《わ》けて結婚期《けつこんき》が早《はや》いのに――二十六七まで縁《えん》に着《つ》かないで居《ゐ》たからです。 (しかし、……やがて知事《ちじ》の妾《おもひもの》に成《な》つた事《こと》は前《まへ》に一寸《ちよつと》申《まを》しました。)  私《わたし》はよく知《し》つて居《ゐ》ます――六本指《ろつぽんゆび》なぞと、氣《け》もない事《こと》です。確《たしか》に見《み》ました。しかも其《そ》の雪《ゆき》なす指《ゆび》は、摩耶夫人《まやぶにん》が召《め》す白《しろ》い細《ほそ》い花《はな》の手袋《てぶくろ》のやうに、正《まさ》に五瓣《ごべん》で、其《それ》が九死一生《きうしいつしやう》だつた私《わたし》の額《ひたひ》に密《そつ》と乘《の》り、輕《かる》く胸《むね》に掛《かゝ》つたのを、運命《うんめい》の星《ほし》を算《かぞ》へる如《ごと》く熟《じつ》と視《み》たのでありますから。――  また其《そ》の手《て》で、硝子杯《コツプ》の白雪《しらゆき》に、鷄卵《たまご》の蛋黄《きみ》を溶《と》かしたのを、甘露《かんろ》を灌《そゝ》ぐやうに飮《の》まされました。  ために私《わたし》は蘇返《よみがへ》りました。 「冷水《おひや》を下《くだ》さい。」  最《も》う、それが末期《まつご》だと思《おも》つて、水《みづ》を飮《の》んだ時《とき》だつたのです。  脚氣《かつけ》を煩《わづら》つて、衝心《しようしん》をしかけて居《ゐ》たのです。其《そ》のために東京《とうきやう》から故郷《くに》に歸《かへ》る途中《とちう》だつたのでありますが、汚《よご》れくさつた白絣《しろがすり》を一|枚《まい》きて、頭陀袋《づだぶくろ》のやうな革鞄《かばん》一《ひと》つ掛《か》けたのを、玄關《げんくわん》さきで斷《ことわ》られる處《ところ》を、泊《と》めてくれたのも、螢《ほたる》と紫陽花《あぢさゐ》が見透《みとほ》しの背戸《せど》に涼《すゞ》んで居《ゐ》た、其《そ》のお米《よね》さんの振向《ふりむ》いた瞳《め》の情《なさけ》だつたのです。  水《みづ》と言《い》へば、せい/″\米《こめ》の磨汁《とぎしる》でもくれさうな處《ところ》を、白雪《しらゆき》に蛋黄《きみ》の情《なさけ》。――萌黄《もえぎ》の蚊帳《かや》、紅《べに》の麻《あさ》、……蚊《か》の酷《ひど》い處《ところ》ですが、お米《よね》さんの出入《ではひ》りには、はら/\と螢《ほたる》が添《そ》つて、手《て》を映《うつ》し、指環《ゆびわ》を映《うつ》し、胸《むね》の乳房《ちぶさ》を透《すか》して、浴衣《ゆかた》の染《そめ》の秋草《あきぐさ》は、女郎花《をみなへし》を黄《き》に、萩《はぎ》を紫《むらさき》に、色《いろ》あるまでに、蚊帳《かや》へ影《かげ》を宿《やど》しました。 「まあ、汗《あせ》びつしより。」  と汚《きたな》い病苦《びやうく》の冷汗《ひやあせ》に……そよ/\と風《かぜ》を惠《めぐ》まれた、淺葱色《あさぎいろ》の水團扇《みづうちは》に、幽《かすか》に月《つき》が映《さ》しました。……  大恩《だいおん》と申《まを》すは此《これ》なのです。――  おなじ年《とし》、冬《ふゆ》のはじめ、霜《しも》に緋葉《もみぢ》の散《ち》る道《みち》を、爽《さわやか》に故郷《こきやう》から引返《ひつかへ》して、再《ふたゝ》び上京《じやうきやう》したのでありますが、福井《ふくゐ》までには及《およ》びません、私《わたし》の故郷《こきやう》からは其《それ》から七|里《り》さきの、丸岡《まるをか》の建場《たてば》に俥《くるま》が休《やす》んだ時《とき》立合《たちあは》せた上下《じやうげ》の旅客《りよかく》の口々《くち/″\》から、もうお米《よね》さんの風説《うはさ》を聞《き》きました。  知事《ちじ》の妾《おもひもの》と成《な》つて、家《いへ》を出《で》たのは、其《そ》の秋《あき》だつたのでありました。  こゝはお察《さつ》しを願《ねが》ひます。――心易《こゝろやす》くは禮手紙《れいてがみ》、たゞ音信《おとづれ》さへ出來《でき》ますまい。  十六七|年《ねん》を過《す》ぎました。――唯今《たゞいま》の鯖江《さばえ》、鯖波《さばなみ》、今庄《いましやう》の驛《えき》が、例《れい》の音《おと》に聞《きこ》えた、中《なか》の河内《かはち》、木《き》の芽峠《めたうげ》、湯《ゆ》の尾峠《をたうげ》を、前後左右《ぜんごさいう》に、高《たか》く深《ふか》く貫《つらぬ》くのでありまして、汽車《きしや》は雲《くも》の上《うへ》を馳《はし》ります。  間《あひ》の宿《しゆく》で、世事《せじ》の用《よう》は聊《いさゝ》かもなかつたのでありますが、可懷《なつかしさ》の餘《あま》り、途中《とちう》で武生《たけふ》へ立寄《たちよ》りました。  内證《ないしよう》で……何《なん》となく顏《かほ》を見《み》られますやうで、ですから内證《ないしよう》で、其《そ》の蔦屋《つたや》へ參《まゐ》りました。  皐月《さつき》上旬《じやうじゆん》でありました。         三  門《かど》、背戸《せど》の清《きよ》き流《ながれ》、軒《のき》に高《たか》き二本柳《ふたもとやなぎ》、――其《そ》の青柳《あをやぎ》の葉《は》の繁茂《しげり》――こゝに彳《たゝず》み、あの背戸《せど》に團扇《うちは》を持《も》つた、其《そ》の姿《すがた》が思《おも》はれます。それは昔《むかし》のまゝだつたが、一棟《ひとむね》、西洋館《せいやうくわん》が別《べつ》に立《た》ち、帳場《ちやうば》も卓子《テエブル》を置《お》いた受附《うけつけ》に成《な》つて、蔦屋《つたや》の樣子《やうす》はかはつて居《ゐ》ました。  代替《だいがは》りに成《な》つたのです。――  少《すこ》しばかり、女中《ぢよちう》に心《こゝろ》づけも出來《でき》ましたので、それとなく、お米《よね》さんの消息《せうそく》を聞《き》きますと、蔦屋《つたや》も蔦龍館《てうりうくわん》と成《な》つた發展《はつてん》で、持《もち》の此《こ》の女中《ぢよちう》などは、京《きやう》の津《つ》から來《き》て居《ゐ》るのださうで、少《すこ》しも恩人《おんじん》の事《こと》を知《し》りません。  番頭《ばんとう》を呼《よ》んでもらつて訊《たづ》ねますと、――勿論《もちろん》其《そ》の頃《ころ》の男《をとこ》ではなかつたが――此《これ》はよく知《し》つて居《ゐ》ました。  蔦屋《つたや》は、若主人《わかしゆじん》――お米《よね》さんの兄《あに》――が相場《さうば》にかゝつて退轉《たいてん》をしたさうです。お米《よね》さんにまけない美人《びじん》をと言《い》つて、若主人《わかしゆじん》は、祇園《ぎをん》の藝妓《げいしや》をひかして女房《にようばう》にして居《ゐ》たさうでありますが、それも亡《な》くなりました。  知事《ちじ》――其《そ》の三|年前《ねんぜん》に亡《な》く成《な》つた事《こと》は、私《わたし》も新聞《しんぶん》で知《し》つて居《ゐ》たのです――其《そ》のいくらか手當《てあて》が殘《のこ》つたのだらうと思《おも》はれます。當時《たうじ》は町《まち》を離《はな》れた虎杖《いたどり》の里《さと》に、兄妹《きやうだい》がくらして、若主人《わかしゆじん》の方《はう》は、町中《まちなか》の或會社《あるくわいしや》へ勤《つと》めて居《ゐ》ると、此《こ》の由《よし》、番頭《ばんとう》が話《はな》してくれました。一昨年《いつさくねん》の事《こと》なのです。  ――いま私《わたし》は、可恐《おそろし》い吹雪《ふゞき》の中《なか》を、其處《そこ》へ志《こゝろざ》して居《ゐ》るのであります――  が、さて、一昨年《いつさくねん》の其《そ》の時《とき》は、翌日《よくじつ》、半日《はんにち》、いや、午後《ごご》三|時頃《じごろ》まで、用《よう》もないのに、女中《ぢよちう》たちの蔭《かげ》で怪《あやし》む氣勢《けはひ》のするのが思《おも》ひ取《と》られるまで、腕組《うでぐみ》が、肘枕《ひぢまくら》で、やがて、夜具《やぐ》を引被《ひつかぶ》つてまで且《か》つ思《おも》ひ、且《か》つ惱《なや》み、幾度《いくたび》か逡巡《しゆんじゆん》した最後《さいご》に、旅館《りよくわん》をふら/\と成《な》つて、たうとう恩人《おんじん》を訪《たづ》ねに出《で》ました。  故《わざ》と途中《とちう》、餘所《よそ》で聞《き》いて、虎杖村《いたどりむら》に憧憬《あこが》れ行《ゆ》く。……  道《みち》は鎭守《ちんじゆ》がめあてでした。  白《しろ》い、靜《しづか》な、曇《くも》つた日《ひ》に、山吹《やまぶき》も色《いろ》が淺《あさ》い、小流《こながれ》に、苔蒸《こけむ》した石《いし》の橋《はし》が架《かゝ》つて、其《そ》の奧《おく》に大《おほ》きくはありませんが深《ふか》く神寂《かんさ》びた社《やしろ》があつて、大木《たいぼく》の杉《すぎ》がすら/\と杉《すぎ》なりに並《なら》んで居《ゐ》ます。入口《いりぐち》の石《いし》の鳥居《とりゐ》の左《ひだり》に、就中《とりわけ》暗《くら》く聳《そび》えた杉《すぎ》の下《もと》に、形《かたち》はつい通《とほ》りでありますが、雪難之碑《せつなんのひ》と刻《きざ》んだ、一|基《き》の石碑《せきひ》が見《み》えました。  雪《ゆき》の難《なん》――荷擔夫《にかつぎふ》、郵便配達《いうびんはいたつ》の人《ひと》たち、其《そ》の昔《むかし》は數多《あまた》の旅客《りよかく》も――此《これ》からさしかゝつて越《こ》えようとする峠路《たうげみち》で、屡々《しば/\》命《いのち》を殞《おと》したのでありますから、いづれ其《そ》の靈《れい》を祭《まつ》つたのであらう、と大空《おほぞら》の雲《くも》、重《かさな》る山《やま》、續《つゞ》く巓《いたゞき》、聳《そび》ゆる峰《みね》を見《み》るにつけて、凄《すさま》じき大濤《おほなみ》の雪《ゆき》の風情《ふぜい》を思《おも》ひながら、旅《たび》の心《こゝろ》も身《み》に沁《し》みて通過《とほりす》ぎました。  畷道《なはてみち》少《すこ》しばかり、菜種《なたね》の畦《あぜ》を入《はひ》つた處《ところ》に、志《こゝろざ》す庵《いほり》が見《み》えました。侘《わび》しい一軒家《いつけんや》の平屋《ひらや》ですが、門《かど》のかゝりに何《なん》となく、むかしの状《さま》を偲《しの》ばせます、萱葺《かやぶき》の屋根《やね》ではありません。  伸上《のびあが》る背戸《せど》に、柳《やなぎ》が霞《かす》んで、こゝにも細流《せゝらぎ》に山吹《やまぶき》の影《かげ》の映《うつ》るのが、繪《ゑ》に描《か》いた螢《ほたる》の光《ひかり》を幻《まぼろし》に見《み》るやうでありました。  夢《ゆめ》にばかり、現《うつゝ》にばかり、十|幾年《いくねん》。  不思議《ふしぎ》にこゝで逢《あ》ひました――面影《おもかげ》は、黒髮《くろかみ》に笄《かうがい》して、雪《ゆき》の裲襠《かいどり》した貴夫人《きふじん》のやうに遙《はるか》に思《おも》つたのとは全然《まるで》違《ちが》ひました。黒繻子《くろじゆす》の襟《えり》のかゝつた縞《しま》の小袖《こそで》に、些《ちつ》とすき切《ぎ》れのあるばかり、空色《そらいろ》の絹《きぬ》のおなじ襟《えり》のかゝつた筒袖《こひぐち》を、帶《おび》も見《み》えないくらゐ引合《ひきあは》せて、細《ほつそ》りと着《き》て居《ゐ》ました。  其《そ》の姿《すがた》で手《て》をつきました。あゝ、うつくしい白《しろ》い指《ゆび》、結立《ゆひた》ての品《ひん》のいゝ圓髷《まるまげ》の、情《なさけ》らしい柔順《すなほ》な髱《たぼ》の耳朶《みゝたぶ》かけて、雪《ゆき》なす項《うなじ》が優《やさ》しく清《きよ》らかに俯向《うつむ》いたのです。  生意氣《なまいき》に杖《ステツキ》を持《も》つて立《た》つて居《ゐ》るのが、目《め》くるめくばかりに思《おも》はれました。 「私《わたし》は……關《せき》……」  と名《な》を申《まを》して、 「蔦屋《つたや》さんのお孃《ぢやう》さんに、お目《め》にかゝりたくて參《まゐ》りました。」 「米《よね》は私《わたし》でございます。」  と顏《かほ》を上《あ》げて、清《すゞ》しい目《め》で熟《じつ》と視《み》ました。  私《わたし》の額《ひたひ》は汗《あせ》ばんだ。――あのいつか額《ひたひ》に置《お》かれた、手《て》の影《かげ》ばかり白《しろ》く映《うつ》る。 「まあ、關《せき》さん。――おとなにお成《な》りなさいました……」  此《これ》ですもの、可懷《なつかし》さはどんなでせう。  しかし、こゝで私《わたし》は初戀《はつこひ》、片《かた》おもひ、戀《こひ》の愚癡《ぐち》を言《い》ふのではありません。  ……此《こ》の凄《すご》い吹雪《ふゞき》の夜《よ》、不思議《ふしぎ》な事《こと》に出《で》あひました、其《そ》のお話《はなし》をするのであります。         四  その時《とき》は、四疊半《かこひ》ではありません。が、爐《ろ》を切《き》つた茶《ちや》の室《ま》に通《とほ》されました。  時《とき》に、先客《せんきやく》が一人《ひとり》ありまして爐《ろ》の右《みぎ》に居《ゐ》ました。氣高《けだか》いばかり品《ひん》のいゝ年《とし》とつた尼《あま》さんです。失禮《しつれい》ながら、此《こ》の先客《せんきやく》は邪魔《じやま》でした。それがために、いとゞ拙《つたな》い口《くち》の、千《せん》の一《ひと》つも、何《なん》にも、ものが言《い》はれなかつたのであります。 「貴女《あなた》は煙草《たばこ》をあがりますか。」  私《わたし》はお米《よね》さんが、其《そ》の筒袖《こひぐち》の優《やさ》しい手《て》で、煙管《きせる》を持《も》つのを視《み》て然《さ》う言《い》ひました。  お米《よね》さんは、控《ひか》へて一寸《ちよつと》俯向《うつむ》きました。 「何事《なにごと》もわすれ草《ぐさ》と申《まを》しますな。」  と尼《あま》さんが、能《のう》の面《めん》がものを言《い》ふやうに言《い》ひました。 「關《せき》さんは、今年《ことし》三十五にお成《な》りですか。」  とお米《よね》さんが先《さき》へ數《かぞ》へて、私《わたし》の年《とし》を訊《たづ》ねました。 「三碧《さんぺき》なう。」  と尼《あま》さんが言《い》ひました。 「貴女《あなた》は?」 「私《わたし》は一《ひと》つ上《うへ》……」 「四緑《しろく》なう。」  と尼《あま》さんが又《また》言《い》ひました。  ――略《りやく》して申《まを》すのですが、其處《そこ》へ案内《あんない》もなく、づか/\と入《はひ》つて來《き》て、立状《たちざま》に一寸《ちよつと》私《わたし》を尻目《しりめ》にかけて、爐《ろ》の左《ひだり》の座《ざ》についた一|人《にん》があります――山伏《やまぶし》か、隱者《いんじや》か、と思《おも》ふ風采《ふうさい》で、ものの鷹揚《おうやう》な、惡《わる》く言《い》へば傲慢《がうまん》な、下手《へた》が畫《ゑ》に描《か》いた、奧州《あうしう》めぐりの水戸《みと》の黄門《くわうもん》と言《い》つた、鼻《はな》の隆《たか》い、髯《ひげ》の白《しろ》い、早《は》や七十ばかりの老人《らうじん》でした。 「此《これ》は關《せき》さんか。」  と、いきなり言《い》ひます。私《わたし》は吃驚《びつくり》しました。  お米《よね》さんが、しなよく頷《うなづ》きますと、 「左樣《さやう》か。」  と言《い》つて、此《これ》から滔々《たふ/\》と辯《べん》じ出《だ》した。其《そ》の辯《べん》ずるのが都會《とくわい》に於《お》ける私《わたし》ども、なかま、なかまと申《まを》して私《わたし》などは、ものの數《かず》でもないのですが、立派《りつぱ》な、畫《ゑ》の畫伯方《せんせいがた》の名《な》を呼《よ》んで、片端《かたつぱし》から、奴《やつ》がと苦《にが》り、彼《あれ》め、と蔑《さげす》み、小僧《こぞう》、と呵々《から/\》と笑《わら》ひます。  私《わたし》は五六|尺《しやく》飛退《とびさが》つて叩頭《おじぎ》をしました。 「汽車《きしや》の時間《じかん》がございますから。」  お米《よね》さんが、送《おく》つて出《で》ました。花菜《はなな》の中《なか》を半《なかば》の時《とき》、私《わたし》は香《か》に咽《むせ》んで、涙《なみだ》ぐんだ聲《こゑ》して、 「お寂《さび》しくおいでなさいませう。」  と精一杯《せいいつぱい》に言《い》つたのです。 「いゝえ、兄《あに》が一緒《いつしよ》ですから……でも大雪《おほゆき》の夜《よ》なぞは、町《まち》から道《みち》が絶《た》えますと、こゝに私《わたし》一人《ひとり》きりで、五日《いつか》も六日《むいか》も暮《くら》しますよ。」  とほろりとしました。 「其《そ》のかはり夏《なつ》は涼《すゞ》しうございます。避暑《ひしよ》に行《い》らつしやい……お宿《やど》をしますよ。……其《そ》の時分《じぶん》には、降《ふ》るやうに螢《ほたる》が飛《と》んで、此《こ》の水《みづ》には菖蒲《あやめ》が咲《さ》きます。」  夜汽車《よぎしや》の火《ひ》の粉《こ》が、木《き》の芽峠《めたうげ》を螢《ほたる》に飛《と》んで、窓《まど》には其《そ》の菖蒲《あやめ》が咲《さ》いたのです――夢《ゆめ》のやうです。………あの老尼《らうに》は、お米《よね》さんの守護神《まもりがみ》――はてな、老人《らうじん》は、――知事《ちじ》の怨靈《をんりやう》ではなかつたか。  そんな事《こと》まで思《おも》ひました。  圓髷《まるまげ》に結《ゆ》つて、筒袖《こひぐち》を着《き》た人《ひと》を、しかし、其《その》二人《ふたり》は却《かへ》つて、お米《よね》さんを祕密《ひみつ》の霞《かすみ》に包《つゝ》みました。  三十路《みそぢ》を越《こ》えても、窶《やつ》れても、今《いま》も其《その》美《うつく》しさ。片田舍《かたゐなか》の虎杖《いたどり》になぞ世《よ》にある人《ひと》とは思《おも》はれません。  ために、音信《おとづれ》を怠《おこた》りました。夢《ゆめ》に所《ところ》がきをするやうですから。……とは言《い》へ、一《ひと》つは、日《ひ》に増《ま》し、不思議《ふしぎ》に色《いろ》の濃《こ》く成《な》る爐《ろ》の右左《みぎひだり》の人《ひと》を憚《はゞか》つたのであります。  音信《おとづれ》して、恩人《おんじん》に禮《れい》をいたすのに仔細《しさい》はない筈《はず》。雖然《けれども》、下世話《げせわ》にさへ言《い》ひます。慈悲《じひ》すれば、何《なん》とかする。……で、恩人《おんじん》と言《い》ふ、其《そ》の恩《おん》に乘《じやう》じ、情《なさけ》に附入《つけい》るやうな、賤《いや》しい、淺《あさ》ましい、卑劣《ひれつ》な、下司《げす》な、無禮《ぶれい》な思《おも》ひが、何《ど》うしても心《こゝろ》を離《はな》れないものですから、ひとり、自《みづか》ら憚《はゞか》られたのでありました。  私《わたし》は今《いま》、其處《そこ》へ――         五 「あゝ、彼處《あすこ》が鎭守《ちんじゆ》だ――」  吹雪《ふゞき》の中《なか》の、雪道《ゆきみち》に、白《しろ》く續《つゞ》いた其《そ》の宮《みや》を、さながら峰《みね》に築《きづ》いたやうに、高《たか》く朦朧《もうろう》と仰《あふ》ぎました。 「さあ、一息《ひといき》。」  が、其《そ》の息《いき》が吐《つ》けません。  眞俯向《まうつむ》けに行《ゆ》く重《おも》い風《かぜ》の中《なか》を、背後《うしろ》からスツと輕《かる》く襲《おそ》つて、裾《すそ》、頭《かしら》をどツと可恐《おそろし》いものが引包《ひきつゝ》むと思《おも》ふと、ハツとひき息《いき》に成《な》る時《とき》、さつと拔《ぬ》けて、目《め》の前《まへ》へ眞白《まつしろ》な大《おほき》な輪《わ》の影《かげ》が顯《あらは》れます。とくる/\と𢌞《まは》るのです。𢌞《まは》りながら輪《わ》を卷《ま》いて、卷《ま》き/\卷込《まきこ》めると見《み》ると、忽《たちま》ち凄《すさま》じい渦《うづ》に成《な》つて、ひゆうと鳴《な》りながら、舞上《まひあが》つて飛《と》んで行《ゆ》く。……行《ゆ》くと否《いな》や、續《つゞ》いて背後《うしろ》から卷《ま》いて來《き》ます。それが次第《しだい》に激《はげ》しく成《な》つて、六《む》ツ四《よ》ツ數《かぞ》へて七《なゝ》ツ八《や》ツ、身體《からだ》の前後《ぜんご》に列《れつ》を作《つく》つて、卷《ま》いては飛《と》び、卷《ま》いては飛《と》びます。巖《いは》にも山《やま》にも碎《くだ》けないで、皆《みな》北海《ほくかい》の荒波《あらなみ》の上《うへ》へ馳《はし》るのです。――最《も》う此《こ》の渦《うづ》がこんなに捲《ま》くやうに成《な》りましては堪《た》へられません。此《こ》の渦《うづ》の湧立《わきた》つ處《ところ》は、其《そ》の跡《あと》が穴《あな》に成《な》つて、其處《そこ》から雪《ゆき》の柱《はしら》、雪《ゆき》の人《ひと》、雪女《ゆきをんな》、雪坊主《ゆきばうず》、怪《あや》しい形《かたち》がぼツと立《た》ちます。立《た》つて倒《たふ》れるのが、其《その》まゝ雪《ゆき》の丘《をか》のやうに成《な》る……其《それ》が、右《みぎ》に成《な》り、左《ひだり》に成《な》り、横《よこ》に積《つも》り、縱《たて》に敷《し》きます。其《そ》の行《ゆ》く處《ところ》、飛《と》ぶ處《ところ》へ、人《ひと》のからだを持《も》つて行《い》つて、仰向《あをむ》けにも、俯向《うつむか》せにもたゝきつけるのです。  ――雪難之碑《せつなんのひ》。――峰《みね》の尖《とが》つたやうな、其處《そこ》の大木《たいぼく》の杉《すぎ》の梢《こずゑ》を、睫毛《まつげ》にのせて倒《たふ》れました。私《わたし》は雪《ゆき》に埋《うも》れて行《ゆ》く………身動《みうご》きも出來《でき》ません。くひしばつても、閉《と》ぢても、目口《めくち》に浸《し》む粉雪《こゆき》を、しかし紫陽花《あぢさゐ》の青《あを》い花片《はなびら》を吸《す》ふやうに思《おも》ひました。  ――「菖蒲《あやめ》が咲《さ》きます。」――  螢《ほたる》が飛《と》ぶ。  私《わたし》はお米《よね》さんの、清《きよ》く暖《あたゝか》き膚《はだ》を思《おも》ひながら、雪《ゆき》にむせんで叫《さけ》びました。 「魔《ま》が妨《さまた》げる、天狗《てんぐ》の業《わざ》だ――あの、尼《あま》さんか、怪《あや》しい隱士《いんし》か。」 底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店    1941(昭和16)年9月30日第1刷発行    1975(昭和50)年7月2日第2刷発行 入力:土屋隆 校正:門田裕志 2005年11月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。