萱草に寄す 立原道造 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)晩《おそ》き [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ、横書き] ------------------------------------------------------- [#ここから2字下げ、横書き] SONATINE  No.1 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]  はじめてのものに ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた その夜 月は明かつたが 私はひとと 窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた) 部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と よくひびく笑ひ声が溢れてゐた ――人の心を知ることは……人の心とは…… 私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を 把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか 火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に その夜習つたエリーザベトの物語を織つた [#改ページ]  またある夜に 私らはたたずむであらう 霧のなかに 霧は山の沖にながれ 月のおもを 投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう 灰の帷のやうに 私らは別れるであらう 知ることもなしに 知られることもなく あの出会つた 雲のやうに 私らは忘れるであらう 水脈のやうに その道は銀の道 私らは行くであらう ひとりはなれ……(ひとりはひとりを 夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか) 私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ 月のかがみはあのよるをうつしてゐると 私らはただそれをくりかへすであらう [#改ページ]  晩《おそ》き日の夕べに 大きな大きなめぐりが用意されてゐるが だれにもそれとは気づかれない 空にも 雲にも うつろふ花らにも もう心はひかれ誘はれなくなつた 夕やみの淡い色に身を沈めても それがこころよさとはもう言はない 啼いてすぎる小鳥の一日も とほい物語と唄を教へるばかり しるべもなくて来た道に 道のほとりに なにをならつて 私らは立ちつくすのであらう 私らの夢はどこにめぐるのであらう ひそかに しかしいたいたしく その日も あの日も賢いしづかさに? [#改ページ]  わかれる昼に ゆさぶれ 青い梢を もぎとれ 青い木の実を ひとよ 昼はとほく澄みわたるので 私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ 何もみな うつとりと今は親切にしてくれる 追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで 単調な 浮雲と風のもつれあひも きのふの私のうたつてゐたままに 弱い心を 投げあげろ 噛みすてた青くさい核《たね》を放るやうに ゆさぶれ ゆさぶれ ひとよ いろいろなものがやさしく見いるので 唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ [#改ページ]  のちのおもひに 夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午さがりの林道を うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた ――そして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… 夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには 夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう そして それは戸をあけて 寂寥のなかに 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう [#改丁]   夏花の歌 [#改ページ]   その一 空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり 小川の水面に かげをおとす 水の底には ひとつの魚が 身をくねらせて 日に光る それはあの日の夏のこと! いつの日にか もう返らない夢のひととき 黙つた僕らは 足に藻草をからませて ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた ……小川の水のせせらぎは けふもあの日とかはらずに 風にさやさや ささやいてゐる あの日のをとめのほほゑみは なぜだか 僕は知らないけれど しかし かたくつめたく 横顔ばかり [#改ページ]   その二 あの日たち 羊飼ひと娘のやうに たのしくばつかり過ぎつつあつた 何のかはつた出来事もなしに 何のあたらしい悔ゐもなしに あの日たち とけない謎のやうな ほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた 薊の花やゆふすげにいりまじり 稚い いい夢がゐた――いつのことか! どうぞ もう一度 帰つておくれ 青い雲のながれてゐた日 あの昼の星のちらついてゐた日…… あの日たち あの日たち 帰つておくれ 僕は 大きくなつた 溢れるまでに 僕は かなしみ顫へてゐる [#改丁] [#ここから2字下げ、横書き] SONATINE  No.2 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]  虹とひとと 雨あがりのしづかな風がそよいでゐた あのとき 叢は露の雫にまだ濡れて 蜘蛛の念珠《おじゆず》も光つてゐた 東の空には ゆるやかな虹がかかつてゐた 僕らはだまつて立つてゐた 黙つて! ああ何もかもあのままだ おまへはそのとき 僕を見上げてゐた 僕には何もすることがなかつたから (僕はおまへを愛してゐたのに) (おまへは僕を愛してゐたのに) また風が吹いてゐる また雲がながれてゐる 明るい青い暑い空に 何のかはりもなかつたやうに 小鳥のうたがひびいてゐる 花のいろがにほつてゐる おまへの睫毛にも ちひさな虹が憩んでゐることだらう (しかしおまへはもう僕を愛してゐない 僕はもうおまへを愛してゐない) [#改ページ]  夏の弔ひ 逝いた私の時たちが 私の心を金《きん》にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと 昨日と明日との間には ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる 投げて捨てたのは 涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた 泡立つ白い波のなかに 或る夕べ 何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに それから 私は旅人になり いくつも過ぎた 月の光にてらされた岬々の村々を 暑い 涸いた野を おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい どこか? あの場所へ(あの記憶がある 私が待ち それを しづかに諦めた――) [#改ページ]  忘れてしまつて 深い秋が訪れた!(春を含んで) 湖は陽にかがやいて光つてゐる 鳥はひろいひろい空を飛びながら 色どりのきれいな山の腹を峡の方に行く 葡萄も無花果も豊かに熟れた もう穀物の収穫ははじまつてゐる 雲がひとつふたつながれて行くのは 草の上に眺めながら寝そべつてゐよう 私は ひとりに とりのこされた! 私の眼はもう凋落を見るにはあまりに明るい しかしその眼は時の祝祭に耐へないちひささ! このままで 暖かな冬がめぐらう 風が木の葉を播き散らす日にも――私は信じる 静かな音楽にかなふ和やかだけで と 底本:「立原道造全集 第1卷 詩集Ⅰ」角川書店    1971(昭和46)年6月20日初版発行 底本の親本:「萱草に寄す」風信子叢書刊行会(自費出版)    1937(昭和12)年5月12日 初出:「萱草に寄す」風信子叢書刊行会(自費出版)    1937(昭和12)年5月12日 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字旧仮名にあらためました。 入力:八巻美恵 1997年9月11日公開 2005年11月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。